研究者業績

小野 恭靖

オノ ミツヤス  (Mitsuyasu Ono)

基本情報

所属
大阪教育大学 多文化教育系 特任教授
学位
Master(Literature)(Waseda University)
文学修士(早稲田大学)
Doctor(Literature)(Waseda University)
博士(文学)(早稲田大学)

研究者番号
50194600
J-GLOBAL ID
200901058077028346
researchmap会員ID
1000032141

外部リンク

1958年,静岡県生まれ。早稲田大学大学院博士後期課程修了。現在、大阪教育大学教授。博士(文学)。日本古典文学,日本歌謡史を専攻する傍ら,ことば遊びの史的研究にも従事する。主な著書に『戦国時代の流行歌』(中央公論新社),『ことば遊びの文学史』(新典社),『さかさことばのえほん』(鈴木出版)がある。NHK大河ドラマの歌謡監修を務めたほか,NHK教養バラエティ番組『日本人のおなまえっ!』や『ラジオ深夜便』『私の日本語辞典』にも出演。

研究キーワード

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経歴

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学歴

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論文

 166
  • 小野恭靖
    禅文化研究所紀要 (28) 559-579 2005年12月  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 (11) 13-24 2005年12月  
  • 小野恭靖
    至文堂国文学 解釈と鑑賞 70(3) 123-131 2005年3月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 53(2) 103-116 2005年2月  
  • 小野恭靖
    日本歌謡研究 (44) 47-64 2004年12月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 53(1) 85-100 2004年9月  
  • 小野恭靖
    歌謡 研究と資料 (9) 57-66 2004年6月  
  • 『歌謡の時空』 87-99 2004年5月  査読有り
  • 小野恭靖
    学大国文 (47) 19-40 2004年3月  
  • 小野恭靖
    国語と国文学 81(3) 63-67 2004年3月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 52(2) 159-168 2004年2月  
  • 小野恭靖
    学燈社国文学 解釈と教材の研究 臨時増刊号 49(3) 42-47,52-53,193-199-199 2004年  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 (10) 18-24 2003年12月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 52(1) 81-114 2003年9月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 51(2) 199-208 2003年2月  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 9(9) 19-37 2002年10月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 51(1) 113-121 2002年9月  
  • 小野恭靖
    日本文学 51(7) 1-9 2002年7月  
    本稿は中世を中心とする歌謡の世界に歌われた子どもの年齢範囲の規定を目指す論である。子どもは七歳から歌謡に歌われ始め、十三歳までが歌う対象年齢とされたことを指摘した。そしてその年齢は、日本民俗における子どもの概念規定と軌を一にしていることが確認できる。また、「お月さん幾つ、十三七つ……」という童謡に見える「十三七つ」について、十三歳から十七歳までの恋愛対象となる娘のことを指すのではないかとの新解釈を提示することもできた。
  • 小野恭靖
    國文学 解釈と教材の研究 47(8) 36-45 2002年7月  
  • 小野恭靖
    伝承文学研究 42 12-23 2002年4月  
  • 小野恭靖
    学大国文 45 87-116 2002年3月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 50(2) 115-122 2002年1月  
    「隆達節歌謡」は一般に「隆達節」「隆達小歌」などと称される歌謡で、堺の町衆で法華宗の古刹顕本寺に住した高三隆達が歌い出し、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての一世を風靡した。その「隆達節歌謡」には、これまで未紹介の歌本や断簡資料が数多く存在している。本稿は「隆達節歌謡」の新出資料を紹介する一連の拙稿の一編に該当する。本稿で紹介する資料は、「年代不詳三首断簡(田中登氏蔵)」「年代不詳伝小堀遠州筆三首断簡」「年代不詳一首短冊(佐々木勇蔵コレクション)」の三種である。また、末尾には隆達及び「隆達節歌謡」にかかわる様々な問題についての新たな知見を記した「覚え書き」を収める。"Ryutatsubushi-kayo" are songs which were sung by Takasabu Ryutatsu who lived in Sakai.They had become very popular starting the Azuchimomoyama era and on the early years of the Edo era. There are a lot of unknown materials about them. This report is one of the series in which these materials are introduced. The song books introduced here are "Nendai jusyo-sansyudankan(年代不詳三首断簡)","Nendaihusyo-denkoboriensyuhitsu-sansyudankan(年代不詳伝小堀遠州筆三首断簡)" and "Nendaihusyo-issyutanzaku(年代不詳一首短冊)". The notes from different angles about Ryutatsu and "Ryutatsubushi-kayo" are added at the end of this report.
  • 小野恭靖
    日本歌謡研究 41 80-89 2001年12月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 50(1) 57-65 2001年8月  
    日本語によることば遊びのひとつに、文字遊びがある。その代表格に位置するのは"文字絵"であるが、それとは異なって、新たに造字したり、字謎を活用したり、同音異義を利用した文字遊びがある。その多くは漢字をもとにし、細工や改変を施して行う文字遊びであるが、一部には平仮名をもとにした例も含まれている。このような漢字を中心とした文字遊びは、"感字""遊字"などとして今日も盛んに行われているが、その歴史を辿れば、古く江戸時代後期からみられ、"嘘字""鈍字"などと称されていた。本稿では、まずこれらの嘘字、鈍字にかかわる資料を取りあげて紹介するとともに、それらのことば遊びとしての性格を明確にすることを志す。続いて現代の漢字遊びについても言及していきたい。Plays on characters and letters are a kind of play on words in Japanese. Pictures made up with hiragana-letters are its typical example. Also there are others like making new characters, riddles using characters and using homophones. Most of them use Chinese characters, but some of them use hiragana. These plays are often referred to "Yuji (遊字)" and "Kanji(感字)" today. The original form goes back to the latter half of the Edo era, and they were called "Usoji (嘘字)" and "Donji(鈍字)". At first the materials concerning "Usoji" and "Donji" are introduced, and clarified. Then the brief mention of the present-day plays on characters are also added.
  • 小野恭靖
    國語と國文學 78(5) 34-43 2001年5月  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 8(8) 15-58 2001年3月  
  • 小野恭靖
    学大国文 44(44) 53-84 2001年1月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 49(2) 149-158 2001年1月  
    日本古典文学史上の一ジャンルに歌謡がある。歌謡はその主たる享受を口頭の音韻に頼ってきたが、 今日多くの曲節が不明となっており、音楽的解明は困難と言える。一方、その歌謡詞章(歌詞)については全体からすれば氷山の一角に過ぎないとはいえ, 書物のなかに記し留められた例が見られる。すなわち、歌謡集の形態として残された歌詞が相当数あり、また周辺文芸作品のなかにも取り込まれている。それらは文学的研究の対象となっており、近年次第に関心を集めつつある。歌謡集には早く下絵入り料紙を用いた例があり、後には編集上の工夫として挿絵が入れられることもあった。また、歌謡集以外の書物に歌謡が見られる一例として、経典の表紙、見返し、紙背の葦手を含む歌絵による歌詞も存在する。本稿は歌謡と絵画との関連を総合的に把捉する試みのひとつとして、歌謡が記し留められた経典の表紙絵(見返し絵、紙背絵も含む)および歌謡集の下絵・挿絵のうちの代表的な例を取りあげて論じていきたい。The kayo song is one field of Japanese classical literature. It has been handed down orally. The most of the melodies arre not clear today, and difficult to follow. On the other hand, the words of kayo songs were written down in the books, though they were nothing but a small part of the whole. They are objects of literary study, and have been attracting much attention these days. Formerly paper with pictures was used for some kayo song books. Afterward illustrations were put in some books. There were other song words by the pictures in the covers, in the reverse side of the paper, and in the flyleaves of the sacred books. The pictures in the covers of the sacred books, the paper with the pictures, and the illustrations of the kayo song books are treated and discussed in this report.
  • 小野恭靖
    梁塵 研究と資料 18(18) 41-68 2000年12月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 49(1) 57-70 2000年8月  
    鎌倉時代末期から室町時代にかけて成立した中世の物語草子のうち、絵巻形式をとる伝本の挿絵には、登場人物(動物などの異類も含む)の傍らに、画中詞または絵詞と呼ばれるその人物の発した言葉や音声が書き入れられている。その中には当時の流行歌を含む歌謡も多く確認できる。筆者は近年、歌謡史を絵画資料から捉える研究を続けている。本稿はその一環として、中世物語草子の画中詞に見える歌謡を、先学の業績に導かれつつ指摘し、新たな位置付けを試みたい。Gatyushi or Ekotoba,the spoken words and the voices,are written beside the characters, animals and and so on in the illustrations of the books in the pictorial style among the medieval stories called Monogatarisoshi. Many kayo songs including the popular songs at that time are confirmed in Gatysushi. Recently I have been researching the history of kayo songs from the viewpoint of the pictorial materials.In this report I try to specify the kayo songs in Gatyushi and entitle it to a new place on the basis of the former studies.
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 7(7) 20-51 2000年3月  
  • 小野恭靖
    学大国文 43(43) 23-36 2000年2月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 48(2) 109-116 2000年1月  
  • 小野恭靖
    梁塵 研究と資料 17(17) 42-71 1999年12月  
  • 小野恭靖
    國文学 解釈と教材の研究 44(13) 39-43 1999年11月  
  • 小野恭靖
    和歌文学研究彙報 7(1) 1-2 1999年10月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 48(1) 19-29 1999年8月  
    日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録に掲載された『美楊君歌集』がそれである。筆者はこの歌集の存在についていち早く注目し、目録に収録された写真によって知られる一部分をもとに二編の拙稿を発表した。しかし、古書肆を離れて以降の原本の所蔵者を突き止めることができず、全冊を披見し調査することも叶わなかったため、十分な内容には至らなかった。そのような状況の中、昨年七月に古典文庫から『美楊君歌集』の影印と活字翻刻が刊行された。本稿は同書によって全貌が明らかとなった『美楊君歌集』について基礎的考察を行うものである。There are three song books in Muromachi Kouta. They are "Kanginshu","Souankoutashu", and "Ryutatsubushi-kayo". Besides in 1986 the fourth song book was newly found in the catalog of a secondhand bookstore, Gyokueido. It's called "Biyoukunkashu". I paid attention to it, and wrote two reports based on the pictures in the catalog. But they were insufficient because I couldn't see the book itself. Suddenly the book with all the pictures of "Biyoukunkashu" was published last July, and the whole of "Biyoukunkashu" has become clear. I report on the research into "Biyoukunkashu" more in detail here.
  • 小野恭靖
    禅文化 172(172) 36-45 1999年4月  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 6(6) 34-57 1999年3月  
  • 小野恭靖
    学大国文 42(42) 21-37 1999年2月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 47(2) 99-115 1999年1月  
    日本古典文学に見られる言語遊戯の問題は近年に至り、次第に重要な視点として注目を集めつつある。日本語の言語遊戯は大きく"しゃれ""なぞ""戯語"の三種に分類できる(鈴木棠三説)が、本稿ではそのうち"戯語"を代表する"回文"について新見を交えて整理していきたい。"回文"はその性格から主として韻文の文芸作品において展開を見せたので、本稿での論述に際しては回文和歌・狂歌、回文連歌・俳諧という二項に集約させる形式で述べていくこととする。The research on plays on words in the history of Japanese classical literature has become important recently. Japanese plays on words are classified into "Share", "Nazo" and "Gigo" according to Tozo Suzuki. Typical "Gigo", palindromes, which are called Kaibun in Japanese, are discussed in this report. As palindromes have been appeared mainlyin verse, the two chapter of this report treat of "Kaibun Waka and Kyoka" and "Kaibun Renga and Haikai".
  • 小野恭靖
    禅文化 171(171) 31-41 1999年1月  
  • 小野恭靖
    禅文化 170(170) 58-70 1998年10月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要,第1部門 47(1) 9-23 1998年8月  
    江戸時代末期に九州博多に居住して、庶民に禅を説いた仙厓義梵は白隠慧鶴と並ぶ禅画の大家として著名である。仙厓の描いた禅画の多くは禅を説いた対象を反映して、素朴で味わいのあるもので占められている。また、その画賛も軽妙且つ解り易いものが多い。本稿は仙厓の禅画に書き入れられた画賛を中心として取り上げ、その典拠となった歌謡、諺、言語遊戯、狂歌、その他について日本近世文学研究の観点から基礎的な考察を行うものである。Sengai Gibon was a Zen priest who lived in Hakata at the end of the Edo era. He was as famous an artist as Hakuin Ekaku was. Most of his pictures are simple and appealing. Because they were influenced by the way he had tried to make his Zen sermon easy for the common people to understand. Sengai's gasan, the words which were written in his pictures, are light and smart. His gasan are considered and the sources of them, such as kayo songs and proverbs, are researched in this report.
  • 小野恭靖
    禅文化 169(169) 21-31 1998年7月  
  • 小野恭靖
    禅文化 168(168) 84-97 1998年4月  
  • 小野恭靖
    藝能史研究 141 134-143 1998年4月  
  • 小野恭靖
    日本アジア言語文化研究 5 35-60 1998年3月  
  • 小野恭靖
    学大国文 41(41) 89-108 1998年2月  
  • 小野恭靖
    大阪教育大学紀要(第Ⅰ部門) 46(2) 145-156 1998年1月  
    有馬節は有馬温泉の湯女であった藤を題材にした歌で、まさに江戸時代の一世を風靡した一大流行歌と言える。この歌が周辺の歌謡に与えた影響は多大であり、近世の歌謡集成の中に多くの類歌や替え歌を指摘することが可能である。一方、有馬節ゆかりの書名「ありまぶし」と銘打った何種かの版本も刊行された。本稿では有馬節の再検討から出発して、版本「ありまぶし」を考察の対象としたい。その中で諸本の整理及び位置付けを行うことを目的とする。Arimabushi was a song which took the world by storm in the Edo era. The theme of the song is a woman named Fuji, who worked at the hot spring in Arima. As it had a great influence on the other kayo songs at that time, many simillar songs and variations of Arimabushi can be found in the kayo song books. On the other hand, many kinds of books under the title of Arimabushi were published. In this report, Arimabushi is reexamined first, and then the published books titled Arimabushi are considered.

MISC

 69

書籍等出版物

 43